昭和演歌 宗右衛門町ブルース 平和勝次とダークホース

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大阪の大ヒット曲、宗右衛門町ブルースでございます。宗右衛門町とは大阪北新地にあります。北新地は南の酒場よりも多少お値段がお高くございます。ハイクラスの方がハシゴをする。そういった地区であります。したがって、ホステスたちもいい女が揃っております。そんな地区の歌が思いっきり大ヒット。

きっと来てねと泣いていた~。

歌詞はこちらから見てちょうだい。

悲しそうな女の一言で始まるこの歌は、大阪の代表の曲となりました。宗右衛門町で宗右衛門町ブルースを歌う。これがその当時のステータスでありました。嘘です。いや、ほんまやろうか??

世はまさにバブルの時でございました。わしは一度だけ宗右衛門町へ行ったことがあります。アワアワの世の中を平和勝治のコロコロローラーの喉が、街の隅々まで鳴り渡ります。世界コロコロ選手権があれば間違いなくベストエイトは確実な平和勝次のこぶし。みんなが。真似しました。宗右衛門町のお店は、どこも満員浮かれた世の中がしばらくは続きました。

その後バブルが弾け、さようなら~♪ さようなら~。また来る日までとなりました。

 

平和勝次は音楽ショーでみんなを笑わすコミックバンドで大阪で活躍していました。しかし、泣かず飛ばずで転職を考えていたそうです。最後の思い出と言うことで、自ら作詞したのがこの曲、宗右衛門町ブルースだったそうです。そして、その歌を、南北それぞれの飲み屋街のスナッククラブに軒並み営業に行ったそうです。ポチ袋に10円玉を入れて、客に有線放送にリクエストしてもらうと言う独特の営業だったそうです。

その結果、努力が実り、その当時ヒットし始めていた、ぴんからトリオの「おんなの道」に対抗する形で、平和勝次とダークホースとしてが有線放送路線へ登場したということです。

元々は平和勝次が漫才のネタとして披露していた「宗右衛門町ブルース」をジャケットを事務所の先輩ジャズ漫画の木川かえるに描いて貰いB面を旧友であった桂小春(現桂福團治)の「ペケポン落語」を吹き込み自主制作で500枚をプレスし、当時堺にあった有線放送に100枚を預けた。すると盛り場から火が付き始め、次いで函館の有線でも評判になった。それを日本クラウンの大阪制作宣伝部長が聞きつけ、1972年12月5日にメジャーデビューすると200万枚の大ヒットとなり、一躍その名が知られることとなった。この曲のヒットで宗右衛門町の名前は全国区となり、町会から平和勝次に感謝状も贈られた。ウィキペディアから抜粋

 

2018年7月7日 昭和演歌 宗右衛門町ブルース 平和勝次とダークホース はコメントを受け付けていません。 昭和演歌