昭和演歌 昔の名前で出ています 小林旭

小林旭  昔の名前で出ています。

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京都ではしのぶ。神戸じゃぁなぎさ。そしてハマ。女は、各地の酒場を回った。文字面を見るだけじゃぁ、何と尻軽女と思えるが、これに曲をつけ、こぶしがコロコロ回れば、ひたすら男を待ついい女と言うことになる。そんな女はいらんわとつぶやきたくもなるが、小林旭の声に、わしらは騙されておった。ボトルに似顔絵描きました。ひろみの命と書きました。ひろみ。これが本名なのだろうか、とにかく、ややこしい女である。

 

歌詞はこちらから見てちょうだい。

東京市世田谷区出身。子役を経て第3期日活ニューフェイスに合格。母は音楽教室を開いていた。1956年昭和31年)、映画『飢える魂』でデビューした。以降、映画「渡り鳥」シリーズ、映画「旋風児」シリーズに主演。石原裕次郎らとともに日活の黄金時代を築く。1977年暮れの『第28回NHK紅白歌合戦』で、小林がNHK紅白歌合戦への初出場を果たし「昔の名前で出ています」を歌唱した。

小林旭の曲で大好きな歌が1つある。それは「北帰行」。男の悲しさがそのままに伝わってくる名曲です。コートの襟を立て男は鍛え旅立っていく。都会の喧騒からのがれ、故郷へ向かうわけでもなく、ただ北を目指す。一人汽車に乗る。明日は何処の街か、涙が流れて止まず。

ほな、さいなら。

世界は近くなっています。

ここもいいよ。しっかり選んで。

 

昭和演歌 夢追い酒 渥美二郎

 

尽くして尽くしてそして捨てられる。よくあることだが、こんなことができるのか。男ってそんなに悪くできているのか。わしはこういう類の男を許せない。必殺仕掛人がわしならば、1番にお仕置きや。

世の中にそう思った人は結構多いと思う。だからこの曲は大ヒットした。苦労に苦労を重ねた渥美二郎。その歌唱力、演歌の力。それは捨てられた女の恨みののった叫びだったのだ。夢追い酒。世の中少しずつ景気が良くなっている。少しずつ男たちは置かれ始めている。そんな時代に街に流れた夢追い酒。悲しい歌ながら渥美二郎のこぶしが世の中に炸裂した。

歌詞はこちらから見てちょうだい

死ぬまで一緒と思ってた。お前と呼ばれた気がしたの。、あほか、こんな男がほんまのことはいわん。あほ。あーもう遅い。しゃーないわ。まま次の男を探すか。

発売当時は鳴かず飛ばずであったが、渥美の全国を回っての地道なプロモーション活動が実り、発売から10か月後の1978年12月に日本有線大賞敢闘賞と全日本有線放送大賞努力賞を受賞。年明けの1979年に入ってからは爆発的な売上となる。そして、渥美の念願であった、1979年大晦日の『第30回NHK紅白歌合戦』へ初出場を果たした。ウィキペディア抜粋。

 

激ウマ、本場、市場直送 たまらんで

二段仕込み、どういうこと

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昭和演歌 圭子の夢は夜ひらく 藤圭子

とんでもない美貌と、恐ろしいほど高い歌唱力、力強い演歌力。これでヒットしないはずはない。ただちょっと暗い。どういう訳か、それがまたまた人気に火をつけた。宇多田ヒカルのお母さん。

赤く咲くのはケシの花。白く咲くのは百合の花。どう咲きゃいいのさ~~。

おしえたげよか

歌詞はこちらから見てちょうだい

歌も凄い。ハスキーボイスが日本中に炸裂した。

昨日マーボー、今日トミー、明日はジョージが健坊か。男ばっかりやん、あばずれか。

夜咲くネオンは嘘の花。夜咲く蝶蝶も嘘の花、前を見るよな柄じゃない。後ろ向くよな柄じゃない。1から10までバカでした。バカには未練はないけれど。

石坂まさおの詩が凄い。この人は夜を遊ぶ男だろう。そうでなきゃ、こんな詩は書けない。わしには、無理じゃ。

 

園まりが歌ったものと藤圭子が歌ったものが特に有名である。藤圭子版のタイトルは『圭子の夢は夜ひらく』である。原曲は、練馬少年鑑別所で歌われていた曲を曽根幸明が採譜・補作したものである。歌詞の異なる様々なバージョンがあり、JASRACには20を超える作詞者による異なるバージョンが登録されている。レコードでは1966年に園まり(ポリドール)の歌で発売し大ヒットとなった。それに追随する形で他社からカバー盤が出され、緑川アコクラウンレコード)、藤田功(曾根幸明)と愛まち子テイチク)、梅宮辰夫コロムビア)、バーブ佐竹キングレコード)の競作となった。緑川アコ版は園まりのオリジナル版相手に健闘した。その後多くの歌手にカバーされ、中でも1970年発売の『圭子の夢は夜ひらく』(石坂まさを作詞)は藤圭子の代表曲となった。1999年には石坂の作詞家生活30周年を記念し、藤圭子版の歌碑が花園神社東京都新宿区)に建てられた。 ウィキペディアより抜粋。

 

わしは思う。藤圭子で飲み時はこいつがええ。

 

焼酎で割ってね~

昭和演歌 他人船 三船和子

遠藤実さん作詞作曲の渾身の一曲、三船和子歌唱の「他人船」

悲しい女の物語が切ない旋律を際立たせた。男への恋情が、風と銅鑼の音に消される「他人船」。ええ歌でっせ。どうぞ~。

別れてくれと言う前に、死ねよと言って欲しかった。あ~~こわー。そんなん言われたらたまらんで~。いやいや思いっきり困るで。あぁああこの黒髪の先までも、あなたを愛しているものを~♪

そんなに好きなの、はいはい、よしよし、よしよしでは済まんで~。

引き離す引き離す他人船~♪

あーそうか、男は島から都会へ帰るんや。もう一、船が出るんか。ああほ、女の一途さ。もう一泊ぐらいしたりいな。

あかんか仕事か。

別れの桟橋で泣いた女。よほどの事情でっしゃろなぁ。かわいそうに。ひょっとしたら子供もいるんか?

指切りの指までも、あなたを愛しています。

あ~大概逃げるで。わしも逃げるで~。

歌詞はここから見てちょうだい。

しかしそんな演歌が大ヒット。悲しすぎて世間の人たちは涙がちょちょ切れたんです。

その後、その女の人はどうなったかは知りません。恐らく、想像するに、幸せにはなれなかったと思います。しかし、この演歌を歌唱した三船和子は、このヒットのおかげで幸せになりました、とさ。チャンチャン♪

三船和子「他人船」や「だんな様」のヒットで知られる。本名は緒方一子(おがた かずこ))。「他人船」1966年にかけてヒット、売上は10万枚を超えた。その後「だんな様」オリコンチャート最高位87位。売上50万枚を記録。1995年第46回NHK紅白歌合戦』に出場。ウィキペディアより抜粋。

 

大分本格麦焼酎  噂ではごっつーうまいそうでっせ。

世界の酒が飲める。

昭和演歌 宗右衛門町ブルース 平和勝次とダークホース

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大阪の大ヒット曲、宗右衛門町ブルースでございます。宗右衛門町とは大阪北新地にあります。北新地は南の酒場よりも多少お値段がお高くございます。ハイクラスの方がハシゴをする。そういった地区であります。したがって、ホステスたちもいい女が揃っております。そんな地区の歌が思いっきり大ヒット。

きっと来てねと泣いていた~。

歌詞はこちらから見てちょうだい。

悲しそうな女の一言で始まるこの歌は、大阪の代表の曲となりました。宗右衛門町で宗右衛門町ブルースを歌う。これがその当時のステータスでありました。嘘です。いや、ほんまやろうか??

世はまさにバブルの時でございました。わしは一度だけ宗右衛門町へ行ったことがあります。アワアワの世の中を平和勝治のコロコロローラーの喉が、街の隅々まで鳴り渡ります。世界コロコロ選手権があれば間違いなくベストエイトは確実な平和勝次のこぶし。みんなが。真似しました。宗右衛門町のお店は、どこも満員浮かれた世の中がしばらくは続きました。

その後バブルが弾け、さようなら~♪ さようなら~。また来る日までとなりました。

 

平和勝次は音楽ショーでみんなを笑わすコミックバンドで大阪で活躍していました。しかし、泣かず飛ばずで転職を考えていたそうです。最後の思い出と言うことで、自ら作詞したのがこの曲、宗右衛門町ブルースだったそうです。そして、その歌を、南北それぞれの飲み屋街のスナッククラブに軒並み営業に行ったそうです。ポチ袋に10円玉を入れて、客に有線放送にリクエストしてもらうと言う独特の営業だったそうです。

その結果、努力が実り、その当時ヒットし始めていた、ぴんからトリオの「おんなの道」に対抗する形で、平和勝次とダークホースとしてが有線放送路線へ登場したということです。

元々は平和勝次が漫才のネタとして披露していた「宗右衛門町ブルース」をジャケットを事務所の先輩ジャズ漫画の木川かえるに描いて貰いB面を旧友であった桂小春(現桂福團治)の「ペケポン落語」を吹き込み自主制作で500枚をプレスし、当時堺にあった有線放送に100枚を預けた。すると盛り場から火が付き始め、次いで函館の有線でも評判になった。それを日本クラウンの大阪制作宣伝部長が聞きつけ、1972年12月5日にメジャーデビューすると200万枚の大ヒットとなり、一躍その名が知られることとなった。この曲のヒットで宗右衛門町の名前は全国区となり、町会から平和勝次に感謝状も贈られた。ウィキペディアから抜粋